幸せに繋がる商売人が書いた山(∧)が、お客さんには谷(∨)に見える。昨日の日記に書きました。 少しややこしいけれど、とても大事なことだと思います。 さて、今日はもう一歩踏み込みましょう。 「なぜ商売人とお客さんの間には認識のギャップが生まれるのか?」 なぜだと思いますか? 答えは色々でしょう。 アプローチの仕方も色々あるだろうと思います。 その中で、もし私なりの考えを言わせていただけるなら、商売人とお客さんの認識のギャップは、特に商売人を軸にした時のギャップは、 ある大事なことを忘れているか 気が付いていないか 気が付いているけれど忘れたふりをしているか だと思います。 その大事なこととは 「その人の人生において主人公は自分であるが、他の人の人生においては脇役でしかない」 ということです。 自分中心に考えるということは、悪いことではありません。 その人の人生において自分が主人公であることは紛れも無く事実だと思うからです。 でも、同じように、他の人の人生に置いてはその人が主人公であり、私達は脇役です。 脇役として関わり、脇役として役割を持っています。 そこに認識のギャップが発生する原因があります。 自分が主人公であり、自分は脇役である。 言葉上では矛盾しているように聞こえますが、事実ですね。 そしてその矛盾がコミュニケーションのギャップを生んでいたとしても、その埋め合わせは出来る、とも思っています。 自分が主人公であり、自分は脇役である。 この言葉が言葉上でも、行動においても、コミュニケーションスキルにおいても、理解でき、納得できるならばです。 例えばこの日記。 この日記は私が自分の人生の主人公として体験したこと、感じたこと、学んだことを軸に書き進めています。 そして、主人公として情報発信という行動を行っています。 でも、これを読んでいるあなた。 あなたにとってこの日記と私は、あなたの人生の中の1ページに登場する脇役でしかありません。 この日記があなたの人生の中心点になることはありません。 あなたの人生の中心点はあなた自身です。 あなたがこの日記から学ぶ内容や理解するものを私が決めることは出来ません。 それはあなた自身が決めることです。 私がその決定を拘束することも出来ません。 私は自分の人生の主人公としてこの日記を書いています。 でも、同時にこの日記を読んでくださっているあなたの人生の脇役です。 もしかすると、どんな役を与えられているかは私が決めることではないかもしれません。 でも、私の思いがあなたに伝わり、あなたにとって私が重要な役割をもつことになるならば、それはとても素晴らしいことだと思っています。 その素晴らしさが私に喜びをもたらします。 私は私の人生の上では主人公です。 同時に、私はあなたの人生の上では脇役です。 主人公として 脇役として 自分の役割を持ち、役割を全うできるならば、それが私の幸せに繋がります。 そして、それがあなたの幸せに繋がる。 そう信じています。 ロマンチストな考え方かもしれません。 でも、大事なことだと思っています。 あなたは、どう思われますか? |